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北海道遺産 所在地域の今、これから vol.2
「旧国鉄士幌線
コンクリートアーチ橋梁群」
[上士幌町]
2001年の第1回選定で北海道遺産に選定された「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」。
長年続けてこられた地域活動と未来を見据えた取り組みについて、
3名の方にお話を伺いました。

上士幌町に到着したのは、師走も半ばを過ぎたある日。既に日も暮れて寒さも厳しくなっている時だったが、道の駅を通ると、大勢の人が空を見上げている。空には、光で作られたサンタクロースとトナカイ。そこでは、300機のドローンを駆使して夜空にアートを描き出すイベントが行われていた。
宿泊は、2021年7月にオープンしたカミシホロホテル。顔認証システムによる部屋の開錠、朝食は部屋まで届けられる仕組みとなっており、非接触で滞在できる機能的ホテルである。2019年には町営牧場にナイタイ・テラス、2020年には道の駅がオープンし、観光でも注目の町である。また、2021年5月には、SDGs達成に向けた優れた取組を提案した自治体として内閣府による「SDGs未来都市」に選定されている。

2020年オープンの道の駅と町のシンボルである気球。道の駅では牛丼やスイーツ、人気のパン屋「トカトカ」のパンが購入できる。
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1.カミシホロホテル。2021年にオープンした。 2.2019年にオープンしたナイタイ・テラス。町営牧場から見下ろす景色と料理が人気。

循環をつくること

最近の町の取り組みを、北海道遺産協議会の理事でもある竹中貢町長に聞いた。

「自分のまちには何もない、という人がいるけれど、まちづくりは、ひとつひとつ探していって、磨いて輝かせていくのが大事。それが広がっていくのだと思います」

町営牧場からの景色に価値を見出したナイタイ・テラスなど、積極的に様々な価値を創り出していくことが、おそらくSDGs未来都市へつながってきたに違いない。
日本、さらには世界の農村部の最先端をいこうとしているスマートタウンとしての上士幌。未来のスマートタウンの姿と昭和史を凝縮したような旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群は、非常に対照的である。そのふたつはどう共存するのでしょうか、と聞くと、「遺産も作った側の責任、使う側の責任があります。循環が重要ですね」と町長。

「環境、社会、経済がまわっていくのが大事です。国立公園や産業遺産も、残すだけではなく、経済にまわっていく循環が必要です。指定されるだけではなく、活用されることで、経済にもつながっていく、この3つが循環する必要があります。北海道遺産という価値が経済と、どうつながるか。難しいところでもありますね」

竹中貢町長。

2030年のあるべき姿

「上士幌SDGs未来都市計画」では、SDGsのゴールとして設定されている2030年のあるべき姿のひとつとして、「関係人口の創出・拡大による人材還流と新たな価値が生み出されるまち」が設定されている。今年(2022年)には町内に「無印良品の家」によるワーケーション施設が開設される。新型コロナ禍における新しい働き方改革の前から、上士幌町は、ワーケーションや、ワーケーションをきっかけとした町への移住を積極的に促進してきた。

「やっぱり人の縁ですね。移住者の方々には発信力があると思います」

確かに、廃校となった豊岡小学校を再利用した豊岡ヴィレッジや、カミシホロランドリーも、移住者が中心となっている。

「古く住んでいる人と、新しく移住してきた人があわさることで、価値が創造されると思っています」

全てを無駄にせず、循環させるSDGsの考え方に基づいて、古いものに価値を与えて新しく活用していく力。新しい人により町を活性化させていく仕組み。古いものと、新しいものの循環。単なる「最先端」の町ではなく、循環させる町づくり。新たな町づくりの形が進められている。

北海道遺産 旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群タウシュベツ川橋梁模型。

<ひと>
ひがし大雪アーチ橋友の会
 会長 角田久和 氏

1987年に廃線になった士幌線には、大小60ものコンクリートアーチ橋が存在した。1999年に発足した「ひがし大雪アーチ橋友の会」は、アーチ橋と線路跡の利活用を考え、実践していくための地域住民中心の会である。
「ひがし大雪アーチ橋友の会」は、発足からこれまで、様々な方法で士幌線のアーチ橋を活用し、守ってきた。現会長の角田氏は、会の発足当初から、事務局、ホームページの作成、観光トロッコの整備・運行、資金集めまで、中心的な役割を果たしてきた。会のホームページは、鉄道ファンにはたまらないであろう情報の宝庫である。
角田氏に最近の活動を聞くと、第三音更川橋梁の補修・再生工事について話してくれた。32メートルのアーチが特徴的な第三音更川橋梁は、2016年には「ほっかいどう遺産WAON」の支援を受け、緊急補修が実施されていた。2008年からの地道な活動で、必要とされていた1億800万円にもよぶ資金を集めることに成功すると、本格的な補修・再生工事が2019年に開始され、2020年に終了している。今回、角田氏に話を聞いた後に、現地で初めて第三音更川橋梁を見ることができたが、これがすごい。海外における石造建造物の修復工事の難しさを散々見てきた私は、「よくこれやりましたね!」と思わず声をあげてしまった。

補修・再生工事が終了した第三音更川橋梁。32メートルのアーチは圧巻である(撮影:2021年12月)。

これまでアーチ橋の活用方法を模索しながら、多くの観光客に対応してきた角田氏。士幌線の歴史を語りながら、路傍の花、突発的に現れる動物など、相手の反応をみながら地域のあらゆる面を紹介してきた。「プロじゃない」とおっしゃるが、私からみたら、十分、士幌線案内の専門家である。 今年、「ひがし大雪アーチ橋友の会」の活動は、23年目を迎える。昨年20周年を迎えた北海道遺産とほぼ同じである。士幌線が昭和の象徴なら、友の会の活動は、平成の象徴である。今後、令和の時代を士幌線とともに、長く続いていってほしい。

<ひと>
NPO法人
ひがし大雪自然ガイドセンター
代表 河田 充 氏

河田氏が糠平にやってきたのは、1987年。まさに士幌線が廃線になった年である。当時20代の若者であった河田氏は、釣りのガイドや博物館でのアルバイト、役場の臨時職員など様々な職を経て、現在NPOひがし大雪自然ガイドセンターの代表となっている。

タウシュベツ川橋梁のポスターと河田氏。

「いまは、残念ながら、北海道遺産=タウシュベツ、というところがあるんですよね」と河田氏。

展望台でさえ、年間訪問者は万人単位になっている。ツアー参加者は六割が道外、さらにそのなかでも首都圏からの訪問者が多いという。

「タウシュベツが湖から姿を現している時期は、やはり国道の車の流れがもう違います」

タウシュベツ川橋梁(通称タウシュベツ)は2008年にJRのポスターに使用されたことがきっかけで全国から人が集まるようになったが、北海道遺産としては、2001年に「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」として第一回選定で登録されている。このため、タウシュベツをガイドする時は、まず北海道遺産であるという説明をしてくれているらしい。北海道遺産協議会としてはありがたい話である。

「来ていただいたら、他の橋もみていただきたいとは思うんですけど」

ぬかびら源泉郷郵便局に展示されているタウシュベツ川橋梁模型。2018年に製作された。

士幌線を中心とした歴史は、日本の昭和史をみることだと河田氏はいう。戦前から戦後、士幌線や糠平ダムを中心とした山間部での開発事業には昭和という時代が凝縮してみられる。そのような歴史の証のひとつである第三音更橋梁は、補修・再生工事を終えた。しかし、毎年、湖に沈んでは現れ、凍結を繰り返すタウシュベツの劣化も激しい。変わりゆく橋の姿を記録しようと河田氏主導によるクラウドファンディングで制作されたタウシュベツ橋梁の模型は、上士幌町の教育委員会とぬかびら源泉郷郵便局に寄贈され、現在両所で展示されている。
北の大地にある昭和史の記録。これこそ第一回選定で北海道遺産となった理由でもあるが、厳しい自然条件にどれくらいこれら構造物が物理的に耐えていけるのか、その劣化を受け止めながら上手く活用できるのか、難しいところである。

[Text:田代亜紀子]

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