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北海道遺産20年を振り返って
  • 石森秀三北海道遺産協議会会長 北海道博物館長
  • 山田大隆北海道遺産協議会監事 北海道産業考古学会会長

石森秀三北海道遺産協議会会長、北海道博物館長

今から20年前の2001(平成13)年、ちょうど21世紀の幕開けとともに、北海道遺産の第1回選定が行われ、25件の北海道遺産が誕生しました。推進母体である北海道遺産構想推進協議会(現:北海道遺産協議会)もその年の5月に設立されています。

北海道遺産の構想自体はそれ以前の1997(平成9)年に、当時の堀達也知事が提唱した「北の世界遺産構想」を形にするため、北海道庁内の様々な部署から公募で集まった職員有志のチームによって原型が作られました。

北海道遺産構想は、決して世界遺産の2軍を選ぼうということではない、北海道の未来を見据えた北海道オリジナルのプロジェクトとしてスタートしたものです。

その目的の一つは、自分たちの足元を見つめ直し、その地域や北海道ならではの宝物、日本全国や世界に誇りうる貴重な価値を自分たちの目で見つけ出そうということにあります。

さらに、北海道遺産構想は、そうして掘り起こされた宝物を、観光や教育などの資源として大いに活用し、さらに磨きをかけて価値を高め、次の世代に確実に引き継ごうという「提案」であり、「運動」でもあります。

初代会長の辻井達一先生は北海道遺産について人に伝える時によく「“遺産”という言葉を“資産”と読み替えるとわかりやすいかもしれません。地域の資産である遺産を元手にして大きな“利息”をつけて子どもたちに引き継ごうではありませんか」とお話されていました。

2001(平成13)年の第1回選定から3年後の2004(平成16)年には第2回選定が行われ、27件が選定されました。

その前年の2003(平成15)年には「北海道遺産応援団」が設立され、それ以降に様々な企業や団体のお力添えによって、ツアーの企画やお酒の販売、切手やぬり絵の作成、テレビ番組の放送、子ども向け冊子の作成、工事の囲い看板に至るまで、北海道遺産を盛り立てるために、まさにオール北海道での本格的な活用が展開されていきました。

2009(平成21)年にはNPO法人格を取得して新たな形でのスターを切りましたが、限られた予算の中での苦しい諸活動を余儀なくされる期間が続きました。

苦しい状況の中で、2010(平成22)年には伊藤園の「お茶で北海道を美しくキャンペーン」、2011(平成23)年にはイオン北海道の「ほっかいどう遺産WAON」による寄附が始まり、両社には以来、10年以上継続して非常に大きなご支援をいただいています。両社からいただきました貴重な寄附金を元に各地の北海道遺産所在地域の担い手の皆さんの取組みを支援する助成活動も始まりました。これまでに実施しました「ほっかいどう遺産WAON」による地域への助成件数は139件、助成額は5300万円を超えています。また、2016(平成28)年には将来に向けて持続的に選定地域を支援していくために必要な取組みを検討し「北海道遺産の持続可能な保全・活用に向けた長期ビジョン」を定め、その中で北海道命名150年の2018(平成30)年に新たな選定を行うことも示しました。

第3回選定は、これまでの2回の選定の基本的な理念を柱にしながら、より地域の“担い手”を重視した形での選定方式で選定を行い、15件の新しい仲間が加わり、北海道遺産は67件となりました。北海道遺産は、2021(令和3)年に20周年を迎えましたが、この2年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴いまして、様々な行事などの縮小や中止を余儀なくされました。

コロナ禍という厳しい状況の中で迎えた20周年ですが、この20周年を新たなきっかけにして、北海道遺産の地域、北海道遺産を応援してくださる道民の皆様、企業の皆様、道庁はじめ各市町村の皆様など北海道遺産に関わる人たちが一丸となって、遺産を活用した地域づくり活動がより一層進み、地域の元気・北海道の元気につながっていくことを願っています。

そのような想いを込めて、20周年を契機とする北海道遺産の第4回選定を、10月13日『どーいさんの日』にスタートさせました。

北海道遺産は、次の世代へ継承すべき価値ある遺産を、守り、育て、活用しようとする人々の想いを大切にしています。未来へつなぐ、地域の誇りとなる「遺産」と「人々」の物語を発掘することができれば、この上ない幸いであります。是非とも数多くの申請をお寄せいただけますように、心よりお願い申し上げます。

山田大隆北海道遺産協議会監事、北海道産業考古学会会長

筆者は初代会長辻井達一先生の呼びかけで、1999年(予備運動)から、本格的には第1回選定(2001年)より、北海道遺産運動に開拓技術史に関わる産業考古学研究者として、北海道遺産選定での産業遺産担当で20年間に渡り中心的に参加してきた。創立20周年を迎え、北海道遺産運動の継続と発展に万感のものがある。

当時は全国的に炭鉱都市中心にバブル崩壊で疲弊した地方自治体の再生事業が活発で、他の地方でもいわゆる「○○遺産」運動等が展開されたが、運動の形が20年間継続しているのは「北海道遺産」運動のみと思われる。この理由には、北海道遺産に関わる人々、組織、事業のコラボレーションの実現が、遺産運動成功の最大原因と考えられる。全国的に見て行政のもつこの指導性と組織協働(道庁地域政策部局と遺産協議会活動協働)の継続化と実質化は20年史で見て成果が大きいと考えられ、全国的にもっとこの経験が宣伝され紹介特筆されてよい。

北海道遺産運動20年の全国的にみても稀有な連続発展での成功は、基本的に「ヒト」の問題であり(人物を介しての学術、文化、組織論)、会長辻井達一先生に負うところが大きい。筆者の研究する産業考古学での、台湾での日本建設インフラで実現した近代化(日本領有時代1895~1945年のコロニアル・テクノロジー展開)を今日も感謝している、台湾の諺に言う「先人の恩を忘るべからず」の感である。

辻井先生は専門学会での数多い外国出張の傍らでの、世界遺産地を含む各国歴史文化視察での経験から、北海道と開拓歴史の似た新興国(アメリカ合州国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアほか)が、先人の開拓文化遺産を保存整備して、その開拓の理念と困難な開拓事業の歴史を住民が学び誇りを持って、遺産活用団体を形成し自ら地域発展へ向けて活動し、行政は将来の地域発展を目指し政策化する、という国際的先進の知恵創出に感銘し、類似の運動を北海道でも開始する決意を持たれた。それが、一貫して先生が強調された「遺産(ヘリテージ)」を「資産(アセット)」化する、独創的発想で面白いイベント企画を知恵を出し合いながら生み出す住民活動、自治体地域改変運動(地域遺産推進運動)提唱であった。

長年の北海道遺産の取組みに対し道より功労者表彰をいただく (石森会長、戎谷理事、太陽財団の東原理事長とともに)2019年

先生とご一緒に活動された関係者は皆大きな影響力をこの時期の先生から得ている。先生は8年前(2013年)に癌で物故されたが、その理念は北海産運動の基本的理念として今日も生きており、2019年に功労者表彰として北海道知事表彰を関係者3名が受けた折も、辻井先生の意向継承が参加者感想として高橋知事(当時)に語られた。辻井先生の発想の高さと行動力なくしては、北海道遺産運動は生まれず、今日レベルまでの発展はなかったと言って過言でない。

北海道遺産は地域の宝を発掘し、評価し、将来に先祖の遺産として伝え、かつ住民が誇りと愛情を持ってその遺産を保存活用して、地域資源とする地域創成運動である。今後も地域の担い手育成、学校教育との連携、PRの強化等を通じて、北海道遺産運動がより充実した方向に発展することを期待したい。

「次世代に引継ぎたい北海道ならではの宝物」 ------ 北海道遺産
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