かつて、日本のエネルギー政策の中心にあった「空知の石炭産業」。 炭鉱マンたちは事故の危険と隣り合わせでいながら誇りをもって働き、炭鉱街の長屋に住むその家族たちは、強い絆で結ばれながら、賑やかな生活を送っていました。 その歴史や生活は、北海道にとって大切な記憶であり、伝えたい物語です。 こうした暮らしから生まれた数々の食文化を、炭鉱だけではなく、ともに日本の近代化を支えた鉄鋼、港湾、鉄道に携わる労働者の食文化としてまとめたのが「炭鉄港めし」。 その中から、毎日の肉体労働を支える栄養満点の食事、みんなで楽しく囲む鍋など、炭鉱街だからこそ必要だった独特の食文化を2回に分けてご紹介します。
【ガタタン】最盛期には5つの炭鉱があり、現在の6倍の人々が住んでいた芦別市。戦後、旧満州から引き揚げてきた料理人が、中国の家庭料理をヒントに提供したのが始まりです。 白菜、にんじん、タマネギ、豚肉、エビ、ホタテ、団子、卵など10種類以上の具材を入れたボリューム満点・熱々のとろみあるスープが、冷え切って疲れた身体をあたためてくれると大評判に。 今ではアレンジとして、ガタタンラーメン、チャーハンを提供する食堂もあり、訪れる観光客にも人気です。 最近では、レトルト商品やコンビニメニューも登場し、大注目となっています。
【がんがん鍋】ネオンがともる立坑として人気の「旧住友赤平炭鉱立坑櫓」やズリ山が残る赤平市。2018年には炭鉱遺産ガイダンス施設が誕生しています。 この地の炭鉱メシは「がんがん鍋」。 市民の有志たちが飲食店と協力し、当時の炭鉱街の家庭料理にそう命名し復活させました。 豚ホルモン、豆腐、野菜を味噌仕立てのスープで、「ガンガン煮込んで、ガンガン食べて、ガンガン語り、ガンガン働く」。 このフレーズが、当時の炭鉱マンのたくましさや流れる汗、長屋での団らんや笑い声をよく表していて、心に響きます。 この鍋を囲んでより強く結ばれた炭鉱街の絆。再び、地域づくりの「要」として大きな役割を果たしています。