もつ串の「美唄焼き鳥」は今も大人気

美唄市の炭鉱メモリアル森林公園にある赤い立坑櫓

炭鉱マンの「息抜き酒」。栗山町の小林酒造「北の錦」

「北の錦」には、当時の賑わいを伝える18の建物

閉山した旧北端夕張炭鉱の坑口

  • 美唄焼き鳥と北の錦×「空知の炭鉱関連施設と生活文化」

    1960年代には国内最大の産炭地として栄えた空知地域。 全国からやってきた炭鉱マン達で賑わい、活気に満ちあふれていました。 日本の近代化を支えた石炭産業の現場で、人々を笑顔にさせたのは、栄養満点の美味しい料理とお酒でした。

    【美唄焼き鳥】炭鉱マン達など地域住民に愛されたのが、もも肉、レバー、ハツ、砂肝、キンカン(卵)など、鶏の各部位を一度に味わえる「美唄焼き鳥」。 タマネギがモツの間に挟み込まれ絶妙な味を生んだスタミナ料理です。 当時、飲み屋街にあった屋台「三船」から発祥し、その弟子や親戚が美唄などで店を出し、「たつみ」「福よし」「三船」といった人気店として広がっていきました。 今では、ご当地グルメとして全国的にも大人気です。

    【北の錦】明治11年に札幌で創業、明治33年に炭鉱で賑わう夕張に隣接している現在の栗山町に移転した小林酒造「北の錦」。 炭鉱マンたちの「息抜き酒」として愛されました。 1990年代にはすべての炭鉱が閉山となりましたが、栗山町の酒蔵には、当時の栄華を伝える18棟の煉瓦や石蔵が残されており、「北の錦」のサイトでは「常に命の危機と隣り合わせでいながら、 日本のエネルギーを力強く黙々と掘り起こしてきた炭鉱マンたちと、心血注いで醸し続けた北の錦の蔵人たちの執念が宿っている」と紹介。 まさに、当時の人々の姿や気概が伝わってきます。