各地の北海道遺産

松浦武四郎による蝦夷地踏査の足跡


北海道各地

6度にわたる
踏査の業績を未来へ

松浦武四郎(1818-1888)は、アイヌの人たちの助言と協力を得ながら6度にわたって蝦夷地を探査した。膨大な報告書を幕府に提出したほか、明治政府に必要とされ開拓判官に就いた。武四郎の業績は、北海道の沿岸・内陸を問わず踏査し膨大な記録を作成したこと、蝦夷地に関する多くの書物を出版したこと、北海道の名づけ親としてまた、国・郡の範囲を定めその名称を選定したこと等が上げられる。北海道各地にある身近な足跡に触れることから、その業績を知らしめ親しまれ将来に伝える手掛かりとなることを期待したい。

見学スポット

  • 全道の松浦武四郎の歌碑・顕彰碑・宿泊碑・説明板

  • 全道各地69か所に歌碑・顕彰碑・宿泊碑・説明板などがある。
    例えば、「小平町鬼鹿 にしん文化歴史公園」には、“名にも似ず すがたやさしき 女郎花(おみなえし) なまめき立る おにしかの里〈西蝦夷日誌 6編〉”の歌碑と武四郎像が建てられており、斜里町ウトロには、“山にふし 海に浮寝の うき旅も 馴れれば馴れて 心やすけれ〈知床日誌〉”の歌碑が建てられている。

    お問合せ
    TEL 011-737-1755
    (北海道出版企画センター内)

担い手からの地域情報や
おすすめポイント!

◆しょこつがわ連携研究会
松浦武四郎は、道路のなかった江戸時代にアイヌを案内人として蝦夷地を踏査しただけでなく、各地の様子を細かく記録し、現在この当時を知る唯一の書物を多く残しています。 渚滑川は当時蝦夷地の最も奥地でしたが(東回り・西回りともに)、それさえも遡ったことに深い感慨を覚えます。 そこで出会ったショコツアイノの言葉を借りてアイヌの窮状を訴えていました。 封建制度化の江戸時代においても、幕府に忖度することなくアイヌ民族の命と文化を守るべく幕府に救済を訴えた人権家を、 北海道に住む私たちは今学びなおす必要があると考えています。 渚滑川流域の踏査箇所は、会員による案内を行うことができます。(時間・料金応相談)

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